たぶん、最終的に行き着いたもの2019/12/17 18:35

 小さな時から、模型づくりが好きで、紙鉄砲、ゴム鉄砲、竹とんぼ、竹馬。そして、「小学生」など月刊誌の付録のペーパークラフト、「模型とラジオ」誌で紹介された紙と細木で作った金閣寺、はじめて、プラモデルというものを作成したのが「伊号潜水艦」、また、当時最新のOゲージの鉄道模型「新幹線こだま」など、作ることが大好きで、いろいろなものを制作してきました。

そして、15歳の時だと思うのですが、「ラジコン技術」1961年夏号創刊号が発売されました。
本屋で発見した時、待ちに待った本が出版されたと、飛び上がるほど嬉しかったことを思い出します。その本を隅から隅まで読んで、飛行機を、数台作って、飛ばしては壊し、飛ばしては壊しの中、高校時代だったと思います。その頃は、送、受信機は、小さな真空管が使われていて、電池も積層の60数ボルトで、短時間しか使えなかったものでした。ラダーなどの舵を動かすものはエスケープメントというゴムの戻りを動力として、電磁石で制御するもので、舵はパタンパタンと同角度で動くものでした。
なかなか、思い通りに飛ばすのは難しいものでした。

 その後、高校を卒業して、就職し、仕事もモノづくりの職場なので趣味の延長のような感じで働いていたように思います。

今、70ウン歳になり、やっと、最終的に何を求め続けていたのか?と考えてみたとき、鳥になりたかったのではないか。
ラジコン飛行機を作り、ある機会に実機の小型セスナ機の乗ったり、ハングライダーの講習会参加、鳥の目になるために凧にカメラを装着して飛ばしてみたり (放送局の取材受ける) 高所撮影機材制作も。

Phantom2
            
 しかしながら、昨今の技術の進歩の速度の速さ。そして、メカトロニクスというか、ハードとソフトのドッキングで、自動で動く機械器具のその多さ。とりわけ、気になる「ドロン時代到来」という全く新しい産業の勃興。 専門家集団がグループでモノづくりに挑む時代であると感じます。

空撮サムネール
          
 私も遅ればせながら、この技術の結晶であるドロンの世界にも足を踏み入れようと考えています。