2022年の年賀状2022/02/06 18:12

 コロナに明け暮れる昨今、時期遅れの年賀状の話題になりますが、段々と年齢を重ねるにつれ、後期高齢者という領域に入ると、毎年、毎年、少しづつ枚数が減ってきます。
こちらとしても 「元気やで~~~」 のつもりで出すのですが、やっと、年賀状をこしらえて出す人や、今年で失礼します、と言う人も少しづつ増えています。メールでの年賀の挨拶も若者中心に増えています。この慣習は是か非か考えるところです。私自身は年1回のことですから、安否確認の意味で続けていくつもりです。

 今年の年賀状は、数年前と同じ企画で、ドロンの撮影映像に少し加工を施したもので、いまや、映像処理の技術は、AIの波及によって空想的な画像も作成することがたやすくできるようになりました。下の写真は、寅のイラストは別にして、2点あるものを追加しています。
すぐ分かります。少しの頭の体操を!!

なお、1年に1回の挨拶なので、日々の暮らしのコメントは、宛名面の下半分に書き記すことにしています。最も有効に葉書を使用しています。(友人よりアイデアをいただく)

2022年賀状



梅一輪が咲きそうかな?2020/02/01 21:57

 今日、作業場庭の梅の蕾が、少し開きかけていた。
早速、寒空の下、少し弱いお天道様の光を浴びながら、一生懸命に花びらを開かせようとしている蕾を撮影した。

梅一輪かな

 毎年のことながら、何故か桜は、満開が綺麗であるが、梅の花がたくさん咲いているのは、綺麗とは余り感じない。昔から、梅一輪というが、蕾の中の一輪が何故か感動するし、心動かすものが私にはある。まだ、厳しい季節の中で咲く梅と、温暖な快い季節に満開に咲く桜とは、それぞれに自然の中での役割が違い、人間に与える影響も違うのかなと考える今日の出来事である。

今年の年賀状2020/01/01 00:10

 毎年のことながら、今年も年賀状を作成し、送付した。
年賀状は、恒例の行事のようであるが、近頃は、年齢のせいか安否確認のような役割を果たすようになってきた。私も元気です、生きていますというお知らせの役割を果たしている。
 相手からの年賀状には、まだ、元気で頑張っているのだなあという一種の安心感が得られる。年賀状の役割も年と共に、意味合いが変化してくるのだと思う。

 毎年の年賀状に既成のイラストやカットなど貼り付けるのがいやで、いつも何ンとか自分で考えたオリジナルのものを心掛けている。凝った友人は、年賀状を送付した後、すぐ来年の年賀状のアイデアを考えるという嘘のような話もある。

 今年、三木の作業場の敷地内から、真っ直ぐ上空に飛行させたドロンから空撮した360度パノラマの一画像である。上から眺めてみると、いろいろ気付くことがある。茶色に色褪せた山々も一興のものである。
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

2020年年賀状
           この年賀状の写真は、空撮動画からのカットです。

たぶん、最終的に行き着いたもの2019/12/17 18:35

 小さな時から、模型づくりが好きで、紙鉄砲、ゴム鉄砲、竹とんぼ、竹馬。そして、「小学生」など月刊誌の付録のペーパークラフト、「模型とラジオ」誌で紹介された紙と細木で作った金閣寺、はじめて、プラモデルというものを作成したのが「伊号潜水艦」、また、当時最新のOゲージの鉄道模型「新幹線こだま」など、作ることが大好きで、いろいろなものを制作してきました。

そして、15歳の時だと思うのですが、「ラジコン技術」1961年夏号創刊号が発売されました。
本屋で発見した時、待ちに待った本が出版されたと、飛び上がるほど嬉しかったことを思い出します。その本を隅から隅まで読んで、飛行機を、数台作って、飛ばしては壊し、飛ばしては壊しの中、高校時代だったと思います。その頃は、送、受信機は、小さな真空管が使われていて、電池も積層の60数ボルトで、短時間しか使えなかったものでした。ラダーなどの舵を動かすものはエスケープメントというゴムの戻りを動力として、電磁石で制御するもので、舵はパタンパタンと同角度で動くものでした。
なかなか、思い通りに飛ばすのは難しいものでした。

 その後、高校を卒業して、就職し、仕事もモノづくりの職場なので趣味の延長のような感じで働いていたように思います。

今、70ウン歳になり、やっと、最終的に何を求め続けていたのか?と考えてみたとき、鳥になりたかったのではないか。
ラジコン飛行機を作り、ある機会に実機の小型セスナ機の乗ったり、ハングライダーの講習会参加、鳥の目になるために凧にカメラを装着して飛ばしてみたり (放送局の取材受ける) 高所撮影機材制作も。

Phantom2
            
 しかしながら、昨今の技術の進歩の速度の速さ。そして、メカトロニクスというか、ハードとソフトのドッキングで、自動で動く機械器具のその多さ。とりわけ、気になる「ドロン時代到来」という全く新しい産業の勃興。 専門家集団がグループでモノづくりに挑む時代であると感じます。

空撮サムネール
          
 私も遅ればせながら、この技術の結晶であるドロンの世界にも足を踏み入れようと考えています。


高さ12mから撮影する機材製作日記(14)2017/12/16 21:38

 とうとう、12mのロッドを、一人で垂直に、立てることが出来ました。

 少しずつ、古希を過ぎても完成しなかったものが、何とか完成に近づきました。
ただ、なぜこんな事をしているのか時々、迷うこともありますが?

 ロッドの内側に、アルミパイプで内筒にあたるものを作成し、少しづつ下から押し上げるという、至って簡単な構造です。アルミパイプの中にカメラに通じる制御用の電線を入れ、パイプの接続部は、3Dプリンターで作成しました。(青色のもの)
 この部分がこの撮影機材の肝のひとつといえます。
台は、移動自由で、回転もして(テレビの回転台使用)、パイプを下から入れるのに支障にならないようにしています。
 今回は、最初の一歩なので、安全を考慮し、カメラ部分は取り外し、ロッドを伸ばすだけにしました。後でこの判断が正しかったことが証明されました。

内筒の移動台

 下の写真は、ロッドが、完全に伸びきった基台付近の状態です。アルミパイプは、すべて、ロッドの中に納まっています。カメラに通じる配線だけ、ロッドの下端から出ています。
一人の作業で終了です。大きな三脚と、3本のステンレスワイヤで、しっかり支えているので、少し風はありましたが、グラグラゆれることもなく安定していました。
少し離れて、写真をパチパチ撮りました。いい眺めです。
 やっと、一つのちょっとしたアイデアを確認した気分です。

基台部分

 下の写真が、その完成の写真です。

ロッド立脚状態

 下の写真は、近づくと全部は、入りきれません。なぜか青空が綺麗でした。

ロッド先端部

 しかし、これからの顛末が情けないことになりました。
いよいよ、ロッドを下げる作業と相なりましたが、少し躊躇することがあり、気をとられた時、アルミパイプと台との間に、指が挟まりました。力を入れても抜けません。

 どうしようか?痛いし、そうだ!妻がいるではないか。隣で畑仕事をしていた妻に「おい~助けてくれ。このパイプを上げてくれ」 すぐ、飛んできて何とか指が抜けましたが、が。

 指に気を取られて、ピーンを張っていたワイヤが緩んだことに気がつかなかったのです。
傾き始めた12mのロッドは、グーとしなりながら一瞬の内に倒れていきました。
三脚が浮く位の力ですからどうしょうもありません。

ああ!!これでこの長年の苦労は消えさるのか?いよいよ、引導を渡されたと思ったものです。

 ところがです。この12mのロッドは、なぜか、梅の木の枝の上にフワーと降り立ったのです。点検してみるとほとんど無傷でした。神も仏もあるのでは?
その上、大事をとってカメラ装置を取付てなかったのが幸いしました。
アルミパイプが、1本曲がって千切れただけ。すぐ修理が出来るものです。

 今、指を挟まないよう改良を続け、さらに、少し気になる部品も作りなおす作業に専念しています。安全な機材めざして。